自己効力感と自己肯定感
この2つの言葉のちがいをあまり意識したことがなかった。
とある事の記事を拝見したときに
「自己効力感が上がっているとか、下がっていうるってのは適切でない。スイッチが入っているか、入っていないか?オンかオフかだ」と!
その通りだなと思った。自己肯定ってのは、自分が名前を頂いて、個人として生きているわけなので、否定しようが、自分であることに間違えはない。効力感は上げたり、下げたりするってこともあるのかと思っていたが、たしかにじわじわって上げるものではない。スイッチをいれるか、どうか?なのだ
で、なぜスイッチが入らないかというと、過去の「自己解釈」に基づいた記憶が、急な変化を嫌うから、なのだってことが腑に落ちてきた。脳は急は変化を嫌う。過去の経験で、どえらいすごい(客観的にみても)経験をしていても、「自分は大したことがない」って結論に持っていく人と、客観的にみて、だれもが経験しているようなことであっても、自分の中で「大切な」すばらしい経験として感じている(ようにしている)人。この人の差が自己効力感なのではないだろうか???
スイッチを入れるためには、過去を捨てるのではなく、過去って畑、もしくは田んぼから、自分の植えたシードを探してきて、花を咲かせる この行為がスイッチなのだろうと感じた。
自己効力感は上げるものではなく、いれること
入れるためのスイッチがある
そのスイッチは「栄光の過去」の中にあり、
それを育てる、いや育っている花に気がつくことだ
では、んまた!