必要とされる
ささいなことではありますが、自分がなにかをして、それがきっかけで「ありがとう」っていってもらうとうれしいものです。逆説的にいえば、いってもらえないと、なにか空虚さを感じます。
寒い寒い雪道を歩いていた時、遠くからコンビニの看板が見えたとき、心から「ああ、あそこに暖かいコーヒーがある。ありがたい」って思います。日常は存在すら気がつかないのに。
そして、やっと手にしたホットコーヒーを買おうとした時にお金がない、、絶望的になりかけたときに、クレジットカードで払えることを思いだし、「ああ、助かった、ありがたい」と思う。
やってくれて当たり前、あって当たり前、という幻想が世の中にはあふれている。
逆になんでないんだと、心を乱すことも。
仕事というのもそういうものじゃないかなと。
それぞれの部署がそれぞれの役割を果たすことは、組織としての義務ではありますがそれは、その人が「依頼したことをやってくれるから」自分の仕事が完成する。
仕事だからあたりまえやろ
役職者だから、ああだこうだ言わずにやってよ
という思いは、本当のこころではない。だれかがいっていたから、やっていたから
真似をしてみた
だけ!そう演じているほうが、かっこよさげだからではないかな?と感じます。
金にかかわらず、立場にかかわらず、役職にかかわらず、成績優秀者そしてそうでないにかかわらず、正社員・契約社員・派遣社員にかかわらず、人は必要とされていて、あまりに身近すぎて、それに気がつかない。
自分があの人を必要としているように、自分もあの人に必要とされていることに
気がつくこと。そしてそれを日々感じて生きること。
在る。ことに奇跡を感じ、今この仕事を進めるためにいてくれて、ありがとう!と思って仕事をする。
そして、人生は続く。